黒い羊
いつの日からか、1人の時間がないとおかしくなる人間です。
きっと軌道修正の時間だと思ってるんですけど、無理矢理力技を使うとどこかでまたしわ寄せが来るのは目に見えてるので、基本何もしません。
じっと考えます。たまに悩みますが、なるべく考えます。カロリーはなるべく使わないように、頭の中だけで物事を整理します。
整理が終わったら今度はクールダウン。頭に情報を入れないようにして、次に舞い降りてくる物事へのキャパシティをゆっくりじんわり作ります。頭の中にすが立つのを待つイメージ。火を通しすぎた茶碗蒸し。
文字に起こすとことさら不器用。
でもこの方法しか知らないし、やってこなかった。
他人の発言がリアルタイムにインプットされないんですよ。文章ではなく単語と印象で残る。
人間から発せられる言葉って、角度を変えると意味が変わってくるし、裏を返すと逆の物事になるし、「本当にこの人が言いたいことは何じゃ?」と考えてしまうんです。
全くいらん作業。
非効率。滑らかではないな。
見なくていいもの、たぶん見てきました。きっと覗こうとしてました。そしていつも勝手にため息ついてました。
おかげで自分という人間も見事に歪み、キレイにまとまった人間が信用できなくなりました。心の中のアラ探しをして、隠した闇を勝手に垣間見て。
だからぱっと見ちょっといびつで不器用な人間の方が好きです。隠れた部分がキレイに見える、というかキレイ。
普通に生きるってそんな簡単じゃない。どちらかというと普通に生きる方が難しい。どこかはみ出て、削れて、欠けてる方が人間味があって自分は好きなんです。
こんな自分がいちばん嫌い。
でも、こんな自分でも愛してあげなきゃ、自分を好きでいてくれる人達に申し訳ないので。
ちょっとのごめんなさいと、なるべくたくさんのありがとうで、生きているつもりなのです。
くじら12号
太陽が目覚めたらあの船で行こう よりそって
雪解けを泳ぐくじらみたいな
名古屋の夏は暑い。
ただただ暑い。と言うか熱い。
梅雨も明けて一気に気温は上昇。
フェーン現象とヒートアイランド現象のダブルパンチ、伊勢湾からの湿気も伴い不快指数MAX。沖縄の人間が暑いというぐらいだから、本気で暑い。
しかもなぜか年々暑くなってる気がします。こんなときは仕事したらあかん。
夏休みのある小学校時代に帰りたい。
夏といえばいろんな物事がお盛んになる季節です。盛りがついたのを夏のせいにするアイドルの歌のように、やたらと露出度高めの高気圧はビーナスたちの交差点。もういっそ脱げや。片乳ぐらい放り出せや。
ちなみに自分、ガタイのいいお兄様だかお姉様だかが揃い踏みで徒党を組んでいる姿、超絶苦手です。
多様性を謳っているゲイがなぜに同じような輩で群れる。なんだシャイニーって。プロテインとサラダチキンとゆで卵の白身だけ食っとけや。
いや、否定はしない。羨ましいもん。なら努力して同じ身体になれよって話ですから。でもね、プールサイドで泡まみれになってる写真をSNSに上げるようなことだけはしたくない。
もっとこう、夏ってくっちゃくちゃなものじゃない?ロケット花火投げあってスイカの早食い対決して冷えたチェリオキメてこそ夏じゃない?
もういちいち綺麗なのムリ。なんで一人残らずガタイがいいのか。なぜそんなにグリッター。マウンティング?絵面的に不自然。何がしたいの?交尾?
いつか鍛えてガタイ良くなっても、絶対にビーチパーティなんぞには行かねぇ。
クラッカーとチーズとワインでフル回転のスクリューはグゥ!なのだよ。
ドルフィンキックで しびれてみたいな。
Fly high
43歳、ゴルフはじめました。
運動神経が全く発達しなかったというか、ない状態で生まれてきました。産声をあげず、逆さまにされてビンタを喰らってやっと「ふぇ」と一言放っただけのスタートからやる気のない子でした。
言葉を喋ることもなく、夜泣きもしない、寝返りもめったに打たない、乳を飲んではひたすら眠る。なんて母親に優しい省エネスペック。
そんな子供は、3歳のときに預けられた親戚の家でマンションの階段を3階から1階まで転げ落ちることになります。
なんでも気がついたら1階で血だらけの状態で泣いていたそうです。さすがに泣いたらしい。
そこから変わったようで。
突然歩き出し、毎日のように家を脱走。ある日は夜になっても帰ってこず、母親が泣きながら警察に電話したところ、「あ、うちでいま保護してますよ?」と言われたそうです。
パトカーに乗って絵に描いたような渦巻きのペロペロキャンディを片手に、かなりご満悦の様子で帰宅してきたそうです。なかなかの大物。
口を開けば放送禁止用語の数々。父親の会社の職人たちがすぐ近くに住んでおり、そこで教えこまれたようです。母親に「おいババア、金よこせ」と言って包丁を投げつけられたのも確かこの頃です。
それでも運動神経だけは本当になかったです。
3歩歩けばこける。なんてったって本気で頭のデカい子でした。いや本当本気の2等身でした。人体の理を完全に無視した子供でした。それに反比例でちんこちっちゃいし。今でもちっちゃいし。ほっとけ。
そんなこんなでスポーツやらせてもてんでダメ。特に球技。ボールを自分で投げて自分の顔に着地させる。小学校の体力測定で全力で投げたハンドボールは9m先に着地させる。ドリブルは1回バウンドさせるとボールが視界から消えてなくなる。
何をやらせてもダメ、のび太も真っ青。
そんな子供時代を送った人間がなぜにゴルフ。
去年の誕生日、会社の社長にプレゼントをいただきました。
ゴルフクラブのセットを。
は?
だいたいあんなちっちゃい玉を棒で叩くとは何事?イギリスの貴族絶対頭おかしかった。蹴鞠よりおかしい。これははっきり言える。
そもそもこんな私になぜゴルフ?嫌がらせ?前世で何かあなたに悪いことしました?なんなら泣きますよ?今すぐ泣けますよ?
でもやるしかねえじゃん…
そんなこんなで修行中。
つらたん。つらたにえん。
白いカイト
高校や大学時代に聴いた歌というのは、ずっと心の中に残ってる。ふとした拍子に現れて、思い出の景色へと滑らかに引き戻される。懐かしくもあり、少し苦くもあり、奥の方がじんとむず痒くなる、そんな感じ。
目に見えないものは昔から信じない方だけれども、思い出というのは心の中のフィルムにどうしてこうもがっつりと残ってしまうものなのだろうか。
自分の存在の価値とは。
いまだにこんなことを考えるときがある。
誰かのために生きるつもりはない。誰かのために時間を取られるのはイヤだし、誰かのために努力するのも苦手だし、何より誰かのために自分が変わることができない。変わろうとしない。
そんな自分勝手のルールを守るために、人様のルールには踏み込まない。ギブアンドテイク。できることはやる。だからそれ以上求めないで欲しい。迷惑をかけられたくない。だから迷惑をかけない。
人って案外そうではないらしくて。
踏み込んでくるし、変えようとする。
覚えられるスキルは覚えた。先回りして自分の可動域を広げて、自分の時間を作った。人はどんどんそこに自分の役割を勝手に作って、当てはめて、求めて、奪って、削って、自分の形を変えた。
ひび割れて傷ついた姿を見られたくなくて、取り繕って、直して、平気なフリをしていたら、要求はさらに増えるばかりだった。容量を増やすために自分のやらなきゃいけないことを削った。
それでも必要とされたし、そこに自分の居場所はあったし、そこにいたかった。そこしかなかった。
大人になっても人は変わらなかった。でも確実に昔と違ったことが1つある。
必要とされているのではなく、
利用されている。
つらいときに隣にいてくれる人はいない。ことごとく目を逸らされ、耳を塞がれる。他人というのは自分のカテゴリーを守るために人を平気で犠牲にするものなのか。
人の努力を踏みつけてマウントを取ったり、イヤなことを当然のように押し付けてきたり、責任から逃げて弱いところに丸投げして知らない顔をする。
気持ち悪い。
でも本当に気持ち悪いのは、こんな場所でも踏みとどまってる自分。
なんでだろう。もう自分でも分からない。
まるで宇宙とダンスをしてるみたいさ
永遠に
砂の果実
神様なんか、いない。
天国なんて、どこにもない。
心の中に起こりうる事態をいくつか用意。
他人の行動を分析、パターン化。
ある程度は当てはまる。
各々のテンプレートがある。
そんなことばっかしてると、
どんどん人間嫌いになっていく。
小さい頃は酔って帰ってきた父に夜中の2時に起こされ、人生について語られた。口答えして殴られたこともある。母はそんな父の愚痴を自分に向かって惜しみなくこぼした。聞きたくないと言ってもむりやり聞かされた。
大人になって愚痴をこぼすと父と母は聞こえないフリをする。あからさまにテレビの話題を始めたり、目を逸らしたり。見えないところで顔色を伺い、ほとぼりが冷めるのを待つ。
卑怯。
「自分のしてほしいことを人にして、自分のしてほしくないことは人にもしない」
知るかそんな綺麗事。
みんな自分が大事。
してもらったことはするけど、
してもらってないことはしないよ?
全部想定内。
彼らの望むことも。
しないけど。
してもらってないもの。
子供の頃、よく嘘をついた。
いじめられて家に帰っても、
泣き顔を見せると親が悲しむからと、
笑顔を作ってから玄関を開けた。
彼らはもののみごとに嘘を信じ、
自分のことを「優しい子」と言った。
優しいって言われるの、大嫌い。
嘘ついてるのに優しいって、なに?
どうせなら、偽善者になりたい。
大いなる、揺るぎない偽善者に。
悲しみの果て
とことんまで自分を追い詰めるときがある。
精神的に考えに考えに考え抜いて、思考回路をただただ構築して行く。その作業に第三者の思考は一切関係なく、淡々と心の中に難攻不落の城が築かれる。誰にも気づかれることはない。城が組み上がっていくことも、城の存在自体も。
しかし。
人の思考なんてものはなんにもないところから発生するはずもなく、回路が構築される過程において多かれ少なかれ第三者の影響は否めない。純度で言えば多少劣るわけで。誰でもそう。自分だけじゃない。でも誰も心の中に城なんて築いてない。
それどころか、城を築きたい人はたいてい外に大々的に築いてる。他人を使って、社会を築いて、世界を作って、笑ってる。
城を作って笑うなんてことは自分の中ではありえないことだったりする。
子供の頃、夢を語ると笑われた。
「そんなものじゃ食っていけない」
酒を飲んで現実から逃げている人がそう言って寝ている子供を起こして殴った。夢を語ることはいけないと教えられたその子供は、その先夢を語ることは2度となかった。そして自分の一部分も心の奥底に隠した。
それでも彼は不安だった。心を誰かに覗かれるんじゃないか、と。彼には心に城を築く必要があった。誰にも立ち入れない世界。小さくていい。誰も入れなければいいのだ。光の射さない、暗がりの湿った世界を閉じ込める城が彼には必要だった。
人の心に土足で入り込もうとする人間はそこそこいる。ほとんどが興味本位。入口がたいして面白くもないものだとそういう人間はすぐに去っていく。しかしたまに色んなものを剥いで心を裸にしようとする人間がいる。中を見せろ、お前の本性を見せろ、と。バールでこじ開け、ハンマーで殴り、時には火をつけ、ボロボロになった城にそいつはこう言った。
「お前はそうやって生きてきたんだな」
ある種の悪意。心を見せないことへの恐怖を抱くそいつは、焼けただれた傷口に容赦なく爪を立て、追い詰めていく。もはやそいつの目的は城の中を見ることではなく、城を破壊することにある。
気持ち悪い。なんで?なにもしてないのに。見ないでよ。こっちも見てないじゃん。人にして欲しくないことするなよ。触るな。
なんの責任がとれるの?
城の奥にしまったものは、
夢だけじゃないんだけど、
それを見て、
責任とれるの?
いちばん怖いのは、生きてる人間。
アゲンストザペイン
歌っていうのはすごいもんで。
このアーティストが好き!声が好き!とか、流行りの歌で何度も聴いてるうちに好きになったとか、ある状況で流れてきて思い出の一部分として聴いたら思い出すとか、なんだかんだで心の一部にフックしてるわけですよ。映像やら思い出やらとシンクロしてちょっくら心の奥がじんわりしたりするわけですわ。
家路に着く途中に猛烈な便意に襲われ、玄関の扉を開けて最短ルートでトイレに駆け込んだつもりがそこはお風呂場で、しかしもうすでに少数の精鋭が門を突破しており城が陥落寸前だったのでしかたなくその場で自害の道を選んだときにイヤホンから流れてきたのがモーニング娘。の「ザ☆ピース!」だったり、
真夏の熱帯夜の眠れない夜に隣の家から毎晩のように聴こえてきたギターの弾き語りと暑苦しい粘着質な破壊的に下手な歌声のB'zの「いつかのメリークリスマス」だったり、
初めての遠出のドライブデートでドキドキしながら出掛けた先で盛大に側溝にハマり、おいおいこの先どうすんだと気まずい空気になったときにカーレディオから流れるm.c.A・Tの「bomb A Head!」だったり、
いろんな場面でいろんな状況とリンクして瞬時にその場所に引き戻してくれます。迷惑。なかなか迷惑。
そんなこたぁどうでもいい。
自分の場合はだいたい歌を好きになるのは、とあるワンフレーズに胸を撃ち抜かれる場合が圧倒的に多いです。
全体的な雰囲気で好きになる場合とか、流行りの歌を好きになる場所もあるんだけれどもそれは稀です。すぐ飽きる場合が多いし。
中でもここ最近、普通に生活してて突然心をショベルカーでえぐってきたワンフレーズがこちら。
感情よくたばれ
涙がこぼれ落ちるけど
BiSの「アゲンストザペイン」って曲なんですけれども。はっとしましたね。
飾りっ気のない言葉でワンフレーズで強さと弱さもの悲しさと前向きな姿を見せつけてきやがった。なに?なんなの?
このフレーズを最後のサビでムロパナコって子が歌うんですよ。ちょっとした幼さとがむしゃらさが残る強い声で。
歌は心。下手でも届く。本気出せば。来たもん。ぎゅうぎゅう来たもん。
生きてるとつらいこともそりゃある。風呂場でウンコ漏らしたり真夏にメリークリスマス言われたり路頭に迷ってボンバへっだったり。でも生きてます。こんなトゲトゲな日でも息してれば明日は来ます。
こんなステキな歌を歌うBiSですが、5月に解散してしまうんですよね…。ほんと残念。
だけど歌は残るから。ずっと。
たぶんこの先つらいことがあったときに、ムロの歌声を思い出して、がんばろう、って思うんだろうな。
音を立てて崩れ落ちる
でも感じる 届きそう アゲンストザペイン
この子たちの姿は忘れない。