RIVER

いい歳こいたゲイのどーでもいいお話です。

白いカイト

 

高校や大学時代に聴いた歌というのは、ずっと心の中に残ってる。ふとした拍子に現れて、思い出の景色へと滑らかに引き戻される。懐かしくもあり、少し苦くもあり、奥の方がじんとむず痒くなる、そんな感じ。

 目に見えないものは昔から信じない方だけれども、思い出というのは心の中のフィルムにどうしてこうもがっつりと残ってしまうものなのだろうか。

 

 

自分の存在の価値とは。

いまだにこんなことを考えるときがある。

 

 

誰かのために生きるつもりはない。誰かのために時間を取られるのはイヤだし、誰かのために努力するのも苦手だし、何より誰かのために自分が変わることができない。変わろうとしない。

そんな自分勝手のルールを守るために、人様のルールには踏み込まない。ギブアンドテイク。できることはやる。だからそれ以上求めないで欲しい。迷惑をかけられたくない。だから迷惑をかけない。

 

人って案外そうではないらしくて。

踏み込んでくるし、変えようとする。

 

覚えられるスキルは覚えた。先回りして自分の可動域を広げて、自分の時間を作った。人はどんどんそこに自分の役割を勝手に作って、当てはめて、求めて、奪って、削って、自分の形を変えた。

ひび割れて傷ついた姿を見られたくなくて、取り繕って、直して、平気なフリをしていたら、要求はさらに増えるばかりだった。容量を増やすために自分のやらなきゃいけないことを削った。

 

それでも必要とされたし、そこに自分の居場所はあったし、そこにいたかった。そこしかなかった。

大人になっても人は変わらなかった。でも確実に昔と違ったことが1つある。

 

 

 

必要とされているのではなく、

利用されている。

 

 

 

つらいときに隣にいてくれる人はいない。ことごとく目を逸らされ、耳を塞がれる。他人というのは自分のカテゴリーを守るために人を平気で犠牲にするものなのか。

人の努力を踏みつけてマウントを取ったり、イヤなことを当然のように押し付けてきたり、責任から逃げて弱いところに丸投げして知らない顔をする。

 

気持ち悪い。

 

 

 

でも本当に気持ち悪いのは、こんな場所でも踏みとどまってる自分。

なんでだろう。もう自分でも分からない。

 

 

 

 

 

 

まるで宇宙とダンスをしてるみたいさ

 

永遠に